5月に入り、山を見ると本当に新緑に引き込まれそうになります。
さて、先日の週末、初めてのトレイルランに行ってきました。
12Lのリュックの中におやつ、おにぎり、ペットボトル2本、タオル、上着を入れ背負って走ります。
新神戸駅の横からスタートして布引の滝を眺め、新緑の中でおいしい空気を吸いながら貯水池にたどり着き、さらに進みます。
もちろん登り続きでとてもしんどくって足はプルプルっ、そんな状況でしたが、緑に囲まれた自然の空気はおいしいし小川の水も澄んで癒されます。木漏れ日がまた気持ちを元気にしてくれるわけです。
私はランでしたが、ハイキングに訪れる方々と沢山出会い、「こんにちは」の挨拶を交わすんですね。これがなんとも気持ちいいのです。
※トゥエンティークロスより
この日は天気も良く、今日も五感で楽しむ事が出来ました。
今日の五感は ①途中で食べたおにぎりが、澄んだ空気がとてもおいしく感じました。
②自然の景色、そして山頂から見る神戸の景色に感動しました。
③風が吹くと葉っぱの重なるサラサラっていう音に、動物の鳴き声が聞こえ癒されます。
④土や草木の匂いもとても良い香りです。
⑤石や木の枝に触れ小川の冷たい水に触れてみました。大きな大木に出会い、その年輪と偉大さに感動もしました。
色んな五感で楽しむと、足の筋肉痛もちょっと嬉しかったりしている私。
今日は4時間位かけて15キロのトレイルランとなりました。
終わってから「楽しかった~」とテンションが上がるのってとても不思議です。
この季節は自然を感じて心からリフレッシュに持ってこいと実感しました。
是非、暑くなる前のこの季節 自然を感じてほしいと思いますっ
5月のGWは鳥取へ滞在してました。
鳥取といえば「鳥取砂丘」ですね。5月はとても季節のいい行楽日和。先月にオープンした「砂像記念館」ここに行きたくて行ってきました。
大きな建物の中に入ると砂像がどど~んと並んでるんですね、その一つ一つの繊細な部分の彫刻から感動してしまいました。

観光の人がとても小さくみえます。
今年のテーマはオリンピックにちなんだと思われる
「イギリス」でした。
こちらは「エリザベス1世」です。
近くで見ると本当の人間の様な見事な表情をしてます。
芸術作品はこれだけではなく、イギリスの宮殿や乗り物、著名人なども作品化されています。
この写真はロミオとジュリエット等で有名な
「シェークスピア」です。

・・等々沢山の作品に堪能しました。
砂と水だけで固めてそれを彫って仕上げたとのことです。砂丘の砂は特別な砂なのだそう・・
そのあと、鳥取砂丘にいってみました。天気もよくて青空と海のブルーがとてもきれいで最高です。
裸足になって砂丘を歩いてみたり、目の前に見えるものは「緑の木(遠くに見えます)・砂丘・空・海」すべて自然の色!
やっぱり自然は気持ちいと感じたGWとなりました。
ちょっと気づいたある漢字です。
「吐く」 使い方としては①息を~ ②口の中の物を~ さらに、③言う という意味があります。
そこでこの漢字を見るとちょっと面白いなと思いました。
漢字を分解すると、口へんに「+」と「-」で成り立ってます。
これは 口で+や-の言葉がでる・・に結び付いつくのかなっという気がします。
普段話す言葉にはプラスの言葉とマイナスの言葉があるんですが、これは愚痴や不満ばかり言う人。逆に前向きで、感謝や夢そういった言葉を言う人。こんなイメージでしょうか。
私は常日頃から「ありがとう」を意識して使ってます。そして、出来るだけ相手の良い部分を真似よう、とりあえずなんでもチャレンジしてみようと思うようにしています。。
漢字が面白いと思ったのは、この「口」と「+」つまり「-」を取り除くと「叶う」という字になるんです。
不平不満ばかり口にしていると叶うものも叶わなくなる。それぞれの趣味や夢や目標なども、今はできなくても「-」を言うのではなく、「次頑張ろう」とか「きっとうまくいく」等「+」の言葉を口癖にしていけばきっと願いが「叶う」のではないかなって思ってます^^/
今の私は 7月のフルマラソン参戦で目標タイムで完走することを目標にしています。もちろんハードルは高いですが、今は前向きに頑張ろうと思っているところです・・叶いますように^^b

先日、徳島県で開催された「徳島マラソン大会」の応援に行ってきました。
昨年マラソンを初めてた私ですが、多くの方に応援をしていただいたことがとても嬉しく、今回は応援側になって仲間達を応援することにしました。
当日はひどい天気でした。
そんな中で走るランナーを見ていると、ついつい熱く応援して励ましたくなるものです。
39キロ地点で約3時間悪天候の中で私も選手に応援し続けました。

「ありがとう」「よしっ!ガンバろ」「応援も頑張ってね」・・そんな言葉を逆にかけていただき、何か心にぐっと喜びが込み上げて来ました。
応援や励ますことは、その人にとっても嬉しいことでもあり、する側にとっても喜びが生まれます。
悪天候の中でしたが、友達全員にエールを送れ「応援のおかげでめっちゃ頑張れたし、テンションあがった。ほんまに感謝感謝やった」という言葉にとても気分がうれしくなりました。
次はランナーとしてフルマラソン頑張りたいと思います!
今日はとても暖かく「ぽかぽか日和」を越えて「暑い~」なんて声も聞こえてきそうな感じですね(*^-^)。
さて、人間の感覚でよく「五感」とありますが、五感を感じて楽しむ♪事が本当の楽しさかなって思う私です。
この季節「桜」・・そろそろ見納め。今年は花見ランでいろんな桜を満喫してみました。
そして五感を感じ、こんな楽しみをしました。
1.視・・・きれいな桜を沢山鑑賞しました。本当に心が晴れました。
2.聴・・・耳を澄ますと、風の音や葉っぱの「サラサラ」という音、自然から色んな音が聞こえてきました(^▽^)。
3.嗅・・・太陽の光を浴びて育った植物からは、とてもいい香りがします。桜に近づくと桜の香りがしました。緑からも香りがします。癒しの香り。
4.味・・・自然の空気がとてもおいしく感じました。思いきり酸素を吸って深呼吸すると「す~~~っと」体がリフレッシュされます。 桜餅・・言うまでもなく食べると幸せを感じますねっ
5.触る・・桜の花びらが舞っていたので拾ってみました。なんだかフワフワした感覚。桜の優しさを感じました。
そして・・開花した花はやがて散っていきます。
最後に桜の絨毯を楽しみました。みなさんも春を色々感じてみてほしいですっ=*^-^*=

4月に入り、寒い季節からいろんな温かさが1つ、2つと感じるようになってきました。
今年は例年より、突然の寒さや暑さの変動が続き、ちょっと体調を崩しやすい人も多かったようです。
ニュースで毎日「桜」の開花情報をよく見るようになりました。
そこで、先日の『日曜日に桜を鑑賞を兼ねてランニングをすることにし、早速三宮から東へ向かって芦屋市間の往復約2時間・・・『お花見ラン』を実行してみました。
車や自転車とは違い、「こんなところにも咲いてる」「山の景色素敵」等色んな桜鑑賞が出来、とても癒されました^^
そして、芦屋川に到着すると川沿いに咲き並ぶ『桜』がとても素敵で疲れも吹っ飛び、しばらくそのきれいな景色に見とれてしまった私です。

平成24年度が始まりました。
日常の健康や癒しをメインにしたブログを始めたいと思います。
ほんの何気ない日記のようなつぶやきのですが、ブレイクタイムに覗いてみてくださいね。
春になると役員交代や引退、退社、入社、そして若い人達の入学、卒業などがあり、悲喜こもごもの感慨に浸ります。
人との「出合い」はかなり簡単です。初対面はかなり緊張しますが何回か会っているうちに、気心が知れてきて、お互に気持を通じ合うようになります。
これに対して「別れる」ことははるかに難しいと思います。男と女が愛し合って親しくなるのはきわめて簡単です。けど、「別れ」となると色んなことがからみ合いきわめて難しくなってきます。
「別れ」の中には色んな別れがありますが、最もやっかいなのは、「死別」です。しかも、すべての人が経験しなければなりません。
我々は自分の意思ではなく、この世に「生」を受けますが、「死」を迎えるのは間違いなく自分が主役であります。
私は医師として色んな方々の臨終を見てまいりました。その瞬間とそこに至るまでの過程は間違いなくその人間の一生の集大成であります。いかにうまくその瞬間を迎えることが出来るかは、一人ひとりの大問題でありましょう。
歌舞伎役者の中村吉右衛門さんは舞台への「出」すなわち登場よりも、はるかに難しいのは舞台から姿を消す瞬間、即ち「引っ込み」であると申されます。
余韻を残して惜しまれながら、懐しがられながら「引っ込み」ができれば最高です。
私も今期をもって推進センターの所長を辞したいと思っています。余韻を持ちながら惜しまれながらの「引っ込み」になれば…と願っています。
長い間、このページを通じて皆々さまにはお世話になりました。また、どこかでの「出合い」を楽しみにしています。
今後の「兵庫産業保健推進センター」のますますのご発展を祈念してお別れといたします。
「引っ込み」の難しさを味わいながら…。
「動」と「静」
我々の生活は「動」と「静」から成り立っています。「動」のあとにくる「静」けさ。速く目まぐるしい時の流れのあとにゆったりとした時が流れていきます。「動」がなければ「静」はありません。何もかも激しかった過去がぴったりと止まり長い静寂が訪れます。
生活の中だけではなくこのことを強く体験させてくれるのが、音楽であり演劇であります。
音楽について考えてみますと西洋人と日本人は「静」と「動」の関係はちょっと違うようです。
日本の音楽、即ち能・歌舞伎などは「間」を大切にします。荒れ狂うほどの激しい音の流れはピタッと止まって恐しい程の静寂を迎えます。この「静」のために激しい「動」がありました。主役は「静」であります。
一方、西洋の音楽は「動」を引き立てるために「静」があります。ベートーベンの音楽でもクライマックスの前には必ずpp(ピアニッシモ)が続きます。嵐の前の静けさというのでしょうか。そして突然大きく盛り上って音楽は終ります。「動」をひき立たせるための「静」であったのです。
この順序を逆転して「静」で終っていって大きな効果を生んだ例もいくつかあります。
チャイコフスキーの悲愴交響曲。ファゴットのつぶやくような低音で始まり、最後の最後も静寂の中に終っています。しかし、主役はその途中にある「動」であることには変りありません。
しかし、マーラーの「第九」だけは例外です。私は最後の最後に到達する静寂(人によっては臨終を表現しているように思っている人もあるようですが…)には激しい感動すら覚えます。
この曲の歴史的な名演といわれたズービン・メータ指揮のイスラエルフィルの音楽会に行き合わせたことがあります。
激しい音楽の流れが続いたあと、大団円を迎えます。ズービン・メータの指揮棒は天を指したままじーっと動かない。あたかも一日中燃えさかったまっ赤な太陽が西の空へ沈んでいくかのように。
音が消えているのに宙天にかざしたメータの指揮棒はまだ動きません。観客もじーっと息をこらえて待っています。激しい動きのあとでやっと迎えた静寂。この音の停止した「静」のために長い長い四つもの楽章があったのです。
オーケストラと観客とがメータの指揮棒を凝視して一体となって恐しいほどの静寂の中で「静」に浸り切って感動しています。
この部分の楽譜も休止符がずーっと並びしかもその休止符にフェルマーターまでついています。
メータの指揮棒がすーっと降りたところで一瞬を置いて目が覚めたような大きな拍手が沸き起ります。この「静」の表現は本当に見事なものです。
パーティのあとでも、旅行の終った時でも楽しい時間を過したあとには何んとも云えない「かなしさ」を含んだ余韻があります。
鵜飼の篝火が消えたあと、まっ暗になった長良川の堤防で一人ただずんだ芭蕉の気持もこれと同じであったに違いありません。
おもしろて やがてかなしき 鵜舟かな
「動」のあとにくる「静」の余韻が我々の人生にうるおいを与えてくれているものと思います。
